昭和四十五年七月十九日 朝の御理解


御理解第三十三節 「お供え物とおかげは、つきものではないぞ。」


 それでもおかげを頂きたい。そんならおかげは、どういう信心について来るかと。そこでこれをもう少し頂くと、どういう事になるかというと「お供え物とおかげは、つきものではないぞと」これを信心には修行がつきものぞという事になるでしょうねぇ。その修行に又、力がつきものぞ。その力におかげがつくのぞという事になります。勿論、ここにはおかげという事は、お徳という事も含まっての事ですねぇ。
 今月七月の月は、修行月だと合楽では、今そこに焦点を置いて皆さん頑張っておられます。一生懸命の暑い中に暑いのをものともせずに、神様へ打ち向かう御祈念をなさって御祈念力を鍛おうと言うのである。いわゆる信心に拝むという事は、もう絶対のものですから、その拝むというても拝んでおる事が神様に通うやはり拝み方。そこにはひとつの力がいるのです。祈念力。その祈念力を鍛え養おうと言うので一生懸命、それこそ一心不乱、もう外見等は言うちゃおられん。一生懸命に御祈念をさせて頂きよると自ずと体も震えてくる。それこそ神様に噛みつくような勢いです。もうあの御祈念をしておる時だけは、それこそ邪念亡念なんて起きてくる隙もなかろうと思われる程しのすさまじい御祈念が、今一時の御祈念には、なされております。そこから祈念力を頂こうと。祈念力というものは大変なものですねぇ。例えば福岡の初代の吉木栄蔵という先生がおられましたがこの方はお若い時に、全国を何回も霊場回りをなさって修行なされた方、いわゆる真吉宗の信心を熱心になさった。そして縁あって小倉の桂先生の教えを頂かれて、自分がいわゆる求め続けておる信心はここにあったとばかりに、いわゆる小倉の一 弟子になられました。そして福岡の地に教会を開かれた訳ですが、もうそれこそ身のよだつような修行を平気でなさったらしい。二代金光様が吉木栄蔵先生の事を してですね「たくさんな教師がおるが表業にかけては、吉木栄蔵の右に出る者はおるまい」と仰せられる程しであった。それはもう、そういうすさまじいまでの御修行をなさいますから、その祈念力というものは、大変なものであった。その祈念の力というのは、立ちどころにおかげを頂いたと言うから大したものです。病人なんかでも、御祈念をなさいますと、もう御祈念が終わった時には病人が治った程しの祈念力。祈念力ということもどうでも必要という事が分かりますね。祈念力を作るという事は、信心では絶対必要です。というても祈念力で助かるという事は、金光様の信心にはやっぱり戻ります、教えを開いて話しを聞いて助かるという、いわゆる行き方、それに祈念力と、そこで今日はお供え物とおかげはつきものではないとおっしゃるが、それならばおかげはどういう信心になればおかげがつくのか。一生懸命御祈念のけいこをして祈念力を養うておかげがつきものともいいますけれども、今日は私は信心には修行がつきもの、そういう修行も含められております。その修行に力がつく、祈念力なら祈念力でつく。その力におかげがつく。力というのは、その修行にお徳がつきます。徳は力です。ですからその様な、例えば徳がつくような力がつくような修行とはどのような修行か。その修行に力がついて、その力におかげがつきものぞと言う事になります。だからこの御教えはながしくなります。そうするとけどもはっきりと答えが出てきます、分かります、はっきりと。そこで今日は、御理解三十三節という所を頂きました。御理解三十三節ということを漢字で書いてみて下さい。参拾参。一二三じゃなくてこの参ですね。参拝の参です。こりゃどういうことになりますかというと、参った上にも参るということになります、ね。参拾参という事は拾は参にプラスする参ですから、参った上にもお参りをする。もう今日は一ぺん参っとるけんしまえたというものでなく、参った上にも参るという修行。今日は私しゃ修行におかげはつきものぞという事を、参拝ということの修行。だから参拝させてもらうということ、参拝の修行ということでなからにゃん。参拝修行、ね。お参りそのものが修行なんです。それは私自身の事でございますけれども、朝と夜を必ず参拝させてもらいました。どんな事があっても、これだけは続けました。引き揚げて帰って初めてお百姓さんの   秋永先生の家に行きました。西郷の千代田さんの所へも参りました。そりゃなれない仕事ですからやっぱりくたくたですね。仕事は出来んけれども、やはり体もくたくた。それでもやっぱり朝早く、まぁ御飯炊きに千代田さん方でいうならば奥さんが起きられると同時に私も起きて水を頂いてからやっぱり善導寺までお参りをさせて頂いた。西郷から。秋永先生方へ行っとってもやっぱりそうであった。取り上げの加勢に行って・・それでもやっぱりあちらから善導寺へ必ず参拝させて頂きました。これは例えば親戚に行っとりましても、その親戚から参っとりました。段々小さい商売を始めましたから、北九州あたりから佐世保、長崎あたりに当時出張販売をさせてもらっておりました。もう宿に着きますと、この近所に教会はどこにあるかという事を聞きますと、道順をちゃんと前の晩に尋ねておいてです、もう必ずそこの土地の教会にお参りさせてもらいました。もう出張中だから御無礼すると、もう絶対そういう事はなかったです。もう本当に絶対でした。ですから私のは、やはり只参拝ではなく、参拝が修行になっておったと思います。参拝修行。いわゆる今日の三十三節です。参った上にも参るという事。これはどこへ参りましても、教会の旗が立っておったりしますと、これは金光様の教会があるなと思うたら必ずそこへ飛び込んでお参りをさせて頂きました。これは金光様の教会と見たら必ずお参りするという気持ちでしたからね、お参りをした訳なんです。けれどもその朝晩のお参りだけでは、もう絶対でした。だから私は、長崎、佐世保、いうなら北九州の教会はどこにあるという事は全部知っとります。あちらへ行った時にお参りをしとりますから。というようにですね、そこのところを私は、他の事はルーズでありましても、この事だけには、いわゆる命をかけて続けておった。この事だけには、疎かにはしなかった。
 私は、今日の御理解頂いてみて、私はそこのところの修行が誰よりも出来ておったなと思います。勿論、こちらへ帰って来りゃ朝の御祈念、そして夜の御祈念。これはもう必ず参りました。椛目から善導寺まで。
 矢作におります友人が戦死しました時に、お通夜を致しました。ですから夜の御祈念がお参り出来ませんでした。もう二時頃までお通夜を致しまして、矢作から椛目まで下って来て、だから自分の家の前を通り抜けて、夜の御祈念の為、お参りをさせて頂いてから帰って参りますと、もう家には入る前に朝の御祈念に参る時間でしたから、又そのまま引き返してから「あら、何か忘れ物したの」と先生がおっしゃる位でした。友人のお通夜に行っとりますから、夜が出られなかった。だからもう三時頃帰らしてもらうから、もう家の前は素通りで、いわゆる夜のお参りをさせて頂いて帰って又そのままひっくり返って、いわば朝の御祈念にお参りさせて頂いた。もうお参りにかけては、そういう調子でした。ですからね、只お参りをしとりますというのではなくて、お参りそのものが修行だったという事なんです。だから今日のここのところにピッタリくる感じがするんです。
 今日、私はこの三十三節をですね、漢字で頂くのですよ。参拾参と。だから今月はとりわけ修行月であり、いうなら今、朝昼晩お参りをなさる修行をしてある方がいくらもあります。昨日なんか例えば、高橋さんなんか朝の御祈念、昼の御祈念、そして夜のお月次祭と福岡から三辺参っておられます。だからそのお参りをするという事に、例えば今日は焦点を置いて、お参りの修行、参拝修行、それをいい加減にしたら修行にはなりません。お参りは出来ておってもです、参拝修行にはなりません。それこそ一分一厘の狂いのないのを修行のごたるというでしょうが、もうこればっかりは修行のごたる。たとえそれは体が少々悪かっても、これだけはやはり断行すると決めたら断行さして下さるです、神様が。
 昨夜のお祭りの後、お話の中に吉井の熊谷さんと、北野の秋山カズエさんの例をもってお話しました。二人共婦人部の幹部であり、もう椛目の初めの頃からの御信者であり、それこそ何十年間を日参的信心を続けておられる方達ばっかりなんです。二人共。ところが私が昨日、こういうお話を致しましたね。もう昔のお話ですよね。まあだお賽銭銅貨が一銭でよかった。何十年前のお話を致しました。ある信者さんは、一銭の銅貨をいつもお賽銭箱に入れられる。ところが間違えて五十銭硬貨を入れられた。「あら、しもうた」とこう思われた。言うてから出してもらおうかまで思われた。そんな訳にはいかんから五十日間はそんならお賽銭を上げんでお参りしようと、言われたといういうお話。そうすると、もう一人のお話は、やっぱり同じ事。これは久留米の教会の御信者さんで、お魚屋さん。これは私共、子供の時よく聞いていたお話。
 お魚屋さんの事ですから、もう長靴ばきで、もう上にも上がられませんけれども、下からお賽銭箱へ投げ入れられる。昔、財布の事をガスシェと言よったけれども、そのガスシェの中に手を突っ込むとお金が手に当たる。その手に当たったお金を、一銭であっても五銭であっても十銭であっても、それが五十銭硬貨であってもです、手に当たったのがその日のお供えとしてなさったお話でありました。そして、五十銭銅貨が手にさわったら「今日はおかげ頂いた」と言うて喜びごだった。同じ五十銭硬貨のお供えでも、片一方はしもうたと思うてお供えしよる。片一方はおかげ頂いたと思うてお供えしよる、というのである。そこでね、私は昨日申しました。これはお金だけの事ではない。誰でもお金は大事な物。それは当時の五十銭と言や大金。一円あれば今でいうなら一級酒位は買えよった時代。ですから、これはお金に限らずです、一銭が当たろうが十銭が当たろうが五十銭があたろうが、いうならば一日の中にどういう事に直面しようが、それを有り難いと、その直面する問題が大きければ大きい程、いやこれはこれで力を受けられると。これはこれでおかげが受けられるぞという心を鍛うていく事の為に、信心修行が必要だという事でしたねぇ、昨夜の御理解は。もうそこはお金の世界じゃないですよ。一日を過ごさせて頂いてです、平穏無事という時には一銭硬貨位のもんじゃったかもしれん。ところが十銭、五十銭といった時には、まぁ信心が無い時ならばびっくりするような、目の前が真っ暗になるような事に直面するかもしれません。けれども、さぁこれでひと徳受けるぞというようにです、かえって勇んでそれを元気で受けられる信心。それには常日頃からの修行が肝心。修行が出来ておる時には、それがよろよろしておる。あらしもたと後で思う位。
 昨日の御理解の中に、現金光様のお言葉である「有り難う有り難う受けていかねば物事が成就致しません」という御理解を頂いて、秋山さんも熊谷さんもその日一日、何と有り難い御理解だ、御教えだと思うて頂き続けていくうちに二人共嬉しゅうして嬉しゅうして、有り難うして有り難うしてというところを通られた。晩までそれが続いた。ところが秋山さんの場合は、ちょっとそれが子供の問題でこげなこつでよかじゃろうかと思うような事を聞いた時に、今まで有り難かったつが、ちょっとゆらいだ、心配になった。いわばその事を有り難く受けられなかった。けれども、十分過、二十分過ちしてようと考えよったら「ああ、これもおかげたい」と言うて有り難う思うたけれどもです、もうその時におかげが受けられなかった。有り難う有り難うでは受けられなかった。ちょっと時間がかかった。というのである。ところが熊谷さんの場合は、又、夜の御祈念にお礼に出てきてから、一時の御祈念に頂いて、有り難う有り難うという風に受ける事がです、受け続けるという決心をした時から、嬉しゅうなった。一切を有り難う有り難う受けさせて頂いた事が有り難うなった。そのお礼参拝があった。そういう二人の話をさせて頂いた。それがどこに、それは問題が違うとったからと言や、もうそうですけれども、そんなら熊谷さんと秋山さんの信心のどこが違うておったかと。 私は、今日の御理解を頂くと、いわゆる参拝修行が違うておったと思います。 昨日、おとといでしたか。今、熊谷さんは歯医者に行っておられます。行かれたところが十人ばっかりつかえておる。こらもう一時の御祈念には間に合わんと思うた。一生懸命、御祈念させてもろうた。おかげでこげん待たにゃならんならと言うて帰る人があったりですねぇ、丁度間に合うた。一生懸命走って行ったらバスが又間に合うた。ここへ来たら丁度御祈念が始まる前に、すべり込みのようにしておかげを頂いた。そういうものがあるのです。熊谷さんの信心の中には、いつも・・・。もう歯医者に行きよる事は、神様が御承知じゃから遅かった時には、二時頃からでもお参りしようたいといったようなものじゃないという事。これはもう本当にそうです。いわゆる信心の根性が違います。やはり。もう七十幾つになられてから、何十年間お参りし続けられたんですからね。以前は久大線の草野駅から毎日毎日歩いてでした。朝の御祈念に参ると言や、もうあそこを道ずたいにみえられる時は、真っ暗な中、ある時なんかはある男が飛びついてきた。そらもう「金光様!」と大きな声を出したらビックリしてからその男が逃げて帰ったというような、もう泥だらけでその時は参ってみえた。もうそげなこつがあったから、あくる日から参ってこなさらんかと思うたら、やっぱり参って来なさる。というようにです、お参りの修行が違う。そんなら秋山さんも、いわゆる日参的おかげは頂いておる。けれども親戚に何かがあると言や、御無礼しますである。家庭に不幸があれば御無礼しましたと。やっぱり日参的お参りなさっておるけれども、その修行というところまでなっていない。そこに違いがある。夜の御祈念にもお参りになるようになって、もう何年になりましょうか。二、三日前娘さんが吉井の石井病院に嫁入っておられますから、あちらから呼びに来らっしゃった。今日は、温泉に行ったりいろいろ御馳走したりして今夜はさっちもっち泊まれと言われる。ところがなかなか泊まると言われん。それで向こうの娘婿さんが「お母さん、明日ああた、合楽に参りなさらんならんけん、そう言いござるとでしょう。だからお参りしなさったっちゃよかけん、泊まって下さい」と言わしゃった。あんまりむげにも断られんから、そんなら泊まろうかという事になった。ところが用があってから、先生が熊谷さんの近所へ行きなさらんならん用が出来たから、これは幸い、そんなら私もついでに乗せて行って下さいと言うてから、やっぱり帰らないと朝の御祈念に差し支えるからと。その位な精進がなされておる訳です。だからね、いわゆる参った上にも参る修行が徹底して出来ておんなさるところにです、違うんだという事。例えて申しますと、例えば秋山さんを例に言うては失礼ですけれども、それこそ秋山さんの足元にも寄らん人が実を言うたらたくさんあるのですから。けれども、熊谷さんとこう対照してお話させて頂いておりますから、そのつもりでどうぞ聞いて下さい。
 例えて言うなら、ガスシェの中に手を突っ込んだところが十銭硬貨が手についたところまでは、秋山さんは「ああ、おかげ頂いた」と言えれるところじゃないだろうか。ところが五十銭硬貨が手についたら「あいた、これはちった多すぎた」と、ちょっと迷われる。そしてようと考えよるとやっぱ五十銭がたのおかげと思うて有り難くなるけれども、熊谷さんの場合なんかは、そうじゃあない。もう五十銭硬貨が手に当たる事を願うておられる。当たったら「ああ、おかげを頂いた」と。おかげをそういう風に処理していけれるだけの修行が出来ておるという事なんです。ですから秋山さんの所まで出来てない人は、秋山さんの所までの参拝修行が出来にゃならん。又そこまで出来ておる人は、ひとつ熊谷さんあたりの信心をひとつ見習わしてもらわにゃいかん。それはもうたくさんおりますよ。巧者な信心をしておる人達が・・・。そんなら北野の中村さんあたりでも熱心に何十年間、いわゆる日参的信心のおかげ頂いておりますけれど、ちょっと体がきつかってみれば、もう休む。ちょっとどうかあってみれば、事情があればもうそれに便乗したようにして、今日は参らんでんよかというごたる風なところすら感じられるのです。年配は大して変わりはない。どちらも七十幾つのお婆さんですけれども、そこに信心の帯をせよと、信心の根性が違う。
 今日、皆さんに聞いて頂いた「お供え物とおかげはつきものではない」と、そんなら何につくのであろうか。それを今日、私は信心には修行がつきもの。その修行に力がつく。その力におかげはつきものだという。その修行を今日は参拾参参った上にも参る修行。いわゆる参拝修行。
 皆さんはね、日参をすると決めておいて出来ないという事は、もう神様に嘘になるのですよ。二、三日前の昼頂きましたが「女は客に惚れたと言い、客は来もせで又来ると言う」というそれとあんまり変わらのです。それでもやっぱり何とか、そこのところをつながせて頂く為に、例えば秋山さんなんかはそれが出来ておられます。お参りが出来ん時には、ちゃんとお初穂だけは、してございます。三日お参りが出来ない時には、三日分のお初穂がちゃんとしてあります。そうすると、日参すると決めておいてもお参りせん時には、いわゆる儲かったごと思うてから、お初穂も出来とらん人がある。こういう事では、信心修行にもう本当にガバッと欠けげてしまう感じがします。それは日参すると決めたらですよ。出来んのですから、せめてお初穂だけでなっとん、交わにゃこれはお供えとおかげはつきものではないという、そこのところとは別な意味で、それはお参りのつもりでそれ位の事はなされる位な根性というか、そこに私は工夫がいると思うのです。いわゆる特に今日は、そこのところを参った上にも参らしてもらう修行。それを只参拝のおかげを頂いておるというだけではなく、参拝そのものを修行とするという事を今日は強調して申しましたですね。どうぞ。